ヒッタイト語について

目次

  1. ヒッタイト語の系統について
  2. ヒッタイト国内で使用された言語
  3. ヒッタイト語の解読の歴史
  4. ヒッタイト語の書記法
  5. ヒッタイト語の言語学的な特徴
  6. 関連リンク
  7. 読書案内

1. ヒッタイト語の系統について

ヒッタイト王国で主に使用された言語はヒッタイト語である。ヒッタイト語はインド・ヨーロッパ語族(印欧語とも。ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、英語などのゲルマン語などが含まれる)に属する。さらに現在見つかっている印欧語のテキストの中で最も古いものはヒッタイト語である。言語学の一分野である(印欧語)比較言語学では、インド・ヨーロッパ語に属する様々な言語は元々一つの言語(祖語)から枝分かれしたものであると想定し、その祖語を再建することを一つの目標としているため、最も古い印欧語であるヒッタイト語は印欧語比較言語学の中でかなり重視される言語の一つである。 ヒッタイト語は印欧語の下位分類の中ではアナトリア語派に属する。アナトリア語派には他にパラー語、楔形文字ルウィ語、リュディア語、リュキア語、カリア語、ピシディア語、シデ語が含まれる。ヒッタイト語を含むアナトリア諸語は全て紀元前2千年紀と1千年紀にアナトリア半島で使用された言語だが、のちに訪れるアナトリア半島のギリシア化によって完全に絶滅してしまっている。それぞれの言語と時代、使われる文字の関係を表にすると次のようになる。

表1.アナトリア諸語の時代と文字(van den Hout(2011: 1)の表を日本語に改変)

2. ヒッタイト国内で使用された言語

ヒッタイト王国内で使用された言語を列挙すると次のようになる。

  • ヒッタイト語(印欧語族)
  • 象形文字ルウィ語(印欧語族)
  • 楔形文字ルウィ語(印欧語族)
  • パラー語(印欧語族)
  • フリ語(フリ・ウラルトゥ語族)
  • ハッティ語(不明)
  • アッカド語(アフロアジア語族)

このうち公文書で最もよく使われたのがヒッタイト語で、粘土板の上に楔形文字で刻まれている。一方、民衆の間では象形文字ルウィ語もよく使われていたと考えられている。ルウィ語はヒッタイトに固有の象形文字で書かれ、印章や王の偉業を讃える石碑などで見ることができる。楔形文字ルウィ語、パラー語、フリ語はヒッタイト語で主に書かれた文書のなかで儀礼の際の呪文の言葉として登場することがよくある。ハッティ語はヒッタイト人がアナトリア半島に入植する以前からいた先住民族の言葉である。アッカド語は当時のオリエント世界の国際語であり、外交文書などによく見られる。

左:粘土板の上に刻まれた楔形文字(ヒッタイト語) 
右:石に彫り込まれた象形文字(象形文字ルウィ語)

3. ヒッタイト語の解読の歴史

ヒッタイト語は絶滅した紀元前13世紀から、紀元後19世紀まで完全に忘れ去られた言語だった。唯一、旧約聖書に「ヘト人」という名前以外何もわからない滅んだ民族が登場するのみであった。1887年にエジプトのテル=エル=アマルナの文書庫から、当時すでに解読されていたアッカド語の粘土板にまじって、解読ができない謎の言語(のちにヒッタイト語と判明)で書かれた粘土板の手紙が発見された。この資料をもとに1902年にノルウェー人のクヌートソンがこの手紙の言語は印欧語と非常に似た特徴を持っていることを指摘したが、元になる資料の少なさなどからあまり受け入れられなかった。しかし1906年のドイツ人アッシリア学者ヴィンクラーとトルコ人考古学者マクリディによるヒッタイトの首都ハットウサの発掘によって転機を迎える。この発掘において神殿の文書庫から数千枚のヒッタイト語で書かれた粘土板が出土し、その大量の資料をもとにチェコ人の言語学者でありアッシリア学者であるフロズニーが解読に取り掛かった。

ヒッタイト語は楔形文字で書かれており、 フロズニーは既に解読されていたアッカド語とシュメール語を読むことができたので、まず彼はヒッタイト語の音節文字を読むことができた。また、シュメール語やアッカド語は音節文字のほかに表語文字も使うのだが、ヒッタイト語もその書記法を取り入れているため、日本語の漢字仮名交じりのような書記体系をしている。そのため、彼はヒッタイト語の中で既に見知った表語文字(例えば「人」、「神」、「王」など)も理解することができた。また、フロズニーは通常の単語帳の他に、名詞や動詞の活用語尾に注目するために逆引き単語帳のようなものも作成した。すると動詞は現在形の場合一人称単数が-mi、二人称単数が-si、三人称単数が-ziなどと変化すること、また人称代名詞では「私」がuk(ラテン語でego)、疑問代名詞がkuis(ラテン語ではquis)であることなど、ヒッタイト語の印欧語に似た特徴が次々と明らかになっていった。また、解読史のなかでは次の一節が特に有名である。(KUB 13.4 ii 70)

まず、この中でNINDAというシュメール語由来の表語文字(シュメログラム)は既に知られており、「パン」という意味を表す。その次のezzatteniという単語はラテン語のedō、またはドイツ語のessen「食べる」を想起させ、また文脈的にも「食べる」と訳すのは自然であり、動詞の活用語尾であろうteniという接辞がついている。さらに、次の文のwatarというのは英語のwaterやドイツ語のwasserなどに似ており、「水」を表すのではないかという想像がつき、その次の単語のekutteniは「飲む」という意味ではないかとフロズニーは考えた。そして彼はこの文を「そしてあなた達はパンを食べ、それからあなた達は水を飲む」と解釈し(後にこの解釈が正しいことがわかる)、ヒッタイト語が印欧語であるという仮説を元に意味のある翻訳ができたことから、仮説への自信を高めていく。フロズニーはさらに研究を進め、その結果を1915年11月24日にベルリンで発表した。フロズニーは比較言語学を学んでいなかったため、語源の解釈などに怪しいところもあり、この発表自体は反発も多かった。しかし、この日をきっかけにヒッタイトの言語や歴史、文化などを研究する学問であるヒッタイト学が成立し、100年以上脈々と研究が続けられていくことになる。

現在(2019年時点)では3万点を超えるヒッタイト語の粘土板片が見つかっており、ジャンルとしても歴史文書や法律文書、行政文書、神話、宗教文書と多様である。これまでの研究から詳細な辞書や文法書も作られており、文書の現代語への翻訳もかなりの精度で行えるようになっている。ヒッタイト学研究の盛んなドイツやアメリカなどの大学ではヒッタイト学の研究所もあり、語学講座としてヒッタイト語も毎年開講されているほどである。日本でも一部の大学や中近東文化センターなどでヒッタイト語の講座が行われている。

4. ヒッタイト語の書記法

ヒッタイト語は楔形文字で表されるが、楔形文字はアルファベットのような音素を表しているのではなく、日本語のひらがなのように音節を表している。そのため、まず音節文字の数がアルファベットよりもかなり多い。楔形文字があらわすことのできる音節は次のようである。

  • 母音(A, E, I, U)
  • 母音+子音(AP, ID, UKなど)
  • 子音+母音(PA, DI, KUなど)
  • 子音+母音+子音(TAR, KAT, MISなど)

また、解読の節でも少し触れたように、ヒッタイト語はシュメール語由来の単語(シュメログラム)とアッカド語由来の単語(アッカドグラム)もロゴグラム(表意文字)として頻繁に使用する。これはちょうど日本語が中国から漢字を取り入れて漢字カナまじりの書記法を用いている状況に非常によく似ている。書記法の成立の歴史としてはまずシュメール語が文字を発明した後、アッカド語がシュメール語の書記法を取り入れた。アッカド語はシュメール語の単語をシュメログラムというロゴグラムと、アッカド語の音をあらわす音節文字を併用したため、アッカド語自体が漢字カナまじりのようになっている。ヒッタイト人はそのアッカド語の書記法をさらにとりいれたため、ヒッタイト語の音をあらわす音節文字、シュメログラム、アッカドグラムを使ういわば二重漢字仮名交じりのような、複雑な体系になっている。例えばある楔形文字𒌓を見たとき、これは音節文字としてud, pirなどと読むことができ、またシュメログラムとしてBABBAR「白」、UD「日」などと読むこともできる。こうした読みは文脈や文字の並びから判断する必要があり、表音文字と表意文字の区別がつかないと言う点では万葉仮名に例えることもできる。楔形文字をローマ字に直すことを翻字(transliteration)というが、ヒッタイト語の音節文字は小文字、シュメログラムは大文字、アッカドグラムは大文字の斜体(ANAなど)で表すことが慣例になっている。また、複数の楔形文字が同じ音価を表すこともある。そういう場合には、頻度順にu, ú, ù, u4, u5というふうにアクセント記号や下付きの数字をつけることで書き分けている。ヒッタイト学では、翻字をみれば粘土板の上でどの楔形文字が使われているか特定できるようなシステムが出来上がっている。

5. ヒッタイト語の言語学的な特徴

楔形文字にはA, E, I, Uと4つの母音しかないが、ヒッタイト語にもOという母音があり、ヒッタイト語ではuという文字が/O/を、úという文字が/U/という母音を表していると考えている学者は多い。このように、アッカド語など他の言語で成立した書記方法を取り入れた経緯から、この書記法がヒッタイト語の音を十分に表しているとは言えないため、音価の特定が難しい場合がしばしばある。現状明らかになっている子音体系を表にあらわすと次のようになる。

表2. 子音体系(Rieken (2011: 39)表2.1を日本語に改変

楔形文字にはt/dという有声・無声の対立があるが、ヒッタイト語ではtでもdでもかかれる単語があることもあり、その対立は無いように見える。一方、tとttという単子音、二重子音の区別は重要で、t/ttの違いで意味が変わる単語のペアが存在する(言語学では弁別的という)。しかし、その単/二重が表すものが発音上の無声/有声なのか、有気/無気なのかといった詳細は分からないままである。特筆すべきはヒッタイト語のḫという音素で、印欧祖語の喉音が部分的に残っている。喉音とはフェルディナンド・ソシュールが1879年に他の古代印欧語の母音の振る舞いから、印欧祖語には喉音と呼ばれる(h)に近い音が(厳密には3種類)存在すると予想したのだが、その後のヒッタイト語の解読によってその存在が証明されることになった。

ヒッタイト語は他の古い印欧語(古代ギリシア語やラテン語、サンスクリット等)と同様、屈折語である。名詞と形容詞は数(単数、複数)、性(共通性、中性)、格(主格、呼格、対格、属格、与格、所格、方向格、奪格、具格)にしたがって活用する。格が充実しているが、後置詞も併用する。対格型の言語であるが、中性名詞を他動詞の主語として用いる場合には能格を示す接辞をつける現象が存在する。動詞は人称(一人称、二人称、三人称)、数(単数、複数)、態(能動態、中受動態)、時制(現在、過去)、ムード(直接法、命令法)にしたがって活用する。アスペクトは非完了を表す-ske/a-という接辞を用いたり、’have’に相当するhar(k)-と分詞を組み合わせた迂言的な手段を用いたりすることによって表される。他の古い印欧語に比べると動詞の文法カテゴリー(アオリストと完了の区別、接続法や希求法など)が少なく単純である。 統語的な特徴としては、無標の語順はSOVである。また、ヒッタイト語は人称代名詞や接続詞、再帰接辞などを、アクセントをもたない前接語で表し、文頭の語に鎖状にぶらさがる形をとる(印欧語によく見られるワッカーナーゲルの法則の例が観察できる)。

6. 関連リンク

  • @hethitisch (Twitterのヒッタイト語bot。大亦が運営しています。)
  • https://es.twitcasting.tv/morgenlandhatti/movie/550621748 (ツイキャスでヒッタイト語講座をした時の初回の動画。それ以降はskypeに移行してしまったので、もし初回以降も視聴したい場合は大亦(nanae1028☆gmail.com←☆を@に変える)に連絡ください)
  • https://www.hethport.uni-wuerzburg.de/HPM/index.php (マインツのアカデミーが運営するヒッタイト学の最強のサイト。文書の番号を入れると写真や参考文献、翻訳などを見ることができる。)

7. 読書案内

ヒッタイト語についての概説

  • Roger D. Woodard (2008) 編 The Ancient Languages of Asia Minor. Cambridge[u.a.]: Cambridge Univ. Press.(アナトリア半島で使用された古代言語についての概説。ヒッタイト語の章がある)
  • Benjamin W. Fortson IV (2009) Indo-European Language and Culture, an introduction 2nd edition. Malden, MA : Wiley-Blackwell.(比較言語学の視点。アナトリア諸語の章がある)

楔形文字

  • 池田潤(2006)『楔形文字を書いてみよう読んでみよう−古代メソポタミアへの招待』(注:アッカド語の楔形文字のため、ヒッタイト語を勉強したい場合は音価など覚え直さなければいけないことが多い。楔形文字の書き方などが参考になる。)
  • 楔形文字の書き方の動画(https://www.youtube.com/watch?v=Je-bU7TzcEI
  • Qantuppi(楔形文字がタイプできるアプリ。https://qantuppi.firebaseapp.com)

文法

  • Theo van den Hout (2011) The Elements of Hittite. Cambridge [u.a.]: Cambridge Univ. Press.(英語のヒッタイト語の入門書。本には解答がついてないが作者がacademia.edu上で解答を上げているので独学することができる。https://www.academia.edu/11872192/key_to_The_Elements_of_Hittite 後述する、より詳細な文法書GHLへの参照が充実している。)
  • Elisabeth Rieken (2012) Einführung in die hethitische Sprache und Schrift. Münster : Ugarit-Verl.(ドイツ語の入門書。ヒッタイト学を勉強するにはドイツ語を勉強しなければいけないのでドイツ語の勉強にも使える。解答付き。)
  • Harry Hoffner, Craig Melchert (2008) A Grammar of the Hittite Language. Winona Lake, Ind. : Eisenbrauns.(参照されることの多いハンドブック。GHLと略される。)
  • 大城光正、吉田和彦 (2008)『印欧アナトリア諸語概説』(唯一の日本語で読めるもの。ヒッタイト語以外にもルウィ語やリュキア語などが学べる。)

辞書

  • Johannes Tischler (2008) Hethitisches Handwöterbuch. Heidelberg: Winter. (完成している辞書は実は少なく、用例が載っていないものの、ほとんどの単語が載っているので文書を読むときに一番最初にみることになる辞書。本文はドイツ語。)
  • Rüster & Neu (1989) Hethitisches Zeichenlexikon. Wiesbaden: Harrassowitz. (楔形文字の辞書。漢和辞典のように書き順で検索したり、読みで検索したりすることができる。)
  • Alwin Kloekhorst (2008) Etymological Dictionary of the Hittite Inherited Lexicon. Leiden: Brill. (比較言語学をする人に役立つ印欧語由来の単語を集めた語源辞書。)

研究史

  • Šárka Velhartická (ed.) (2015) Bedřich Hrozný: a 100 let chetitologie = Bedřich Hrozný and 100 years of hittitology. V Praze : Národní galerie v Praze.

(文責:大亦菜々恵)

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